将棋が大好きだ。ひまさえあればiPhoneアプリでひたすら対局している。気が付けば3000局以上指しており、我ながらちょっと引いた。そんな僕は、密かに持ち続けていた夢がある。それは「将棋でプロ棋士に勝つ」ことだ。
プロに勝つなんて大それたことを言ったが、根っからのチキンハート。棋士による指導対局を遠くから見るのが精いっぱい。参加する勇気はなかった。だって弱いしプロ棋士を目の前にしたら緊張で汗ダルマになって、恥をかくに決まってる。
そんなとき目に飛び込んできたのが「サンケイ将棋フェスティバル」の告知。仕事場の近くだから、ふらっと寄ってみた。するとテレビで見たことがある棋士たちが、目の前で一般人と指しているではないか! 夏の夜のせいかテンションが上がり、思わずプロ棋士との対局を申し込む。
対戦相手は伊藤能 六段に決まった。失礼ながら伊藤六段を知らず、速攻wikipediaで調べる。すると52歳の棋士と分かり「若手じゃないから、もしやいい勝負できるかも」と思った。今思えば「甘すぎだヴォケ! 3手詰めも解けないくせに!」と対局前の自分にビンタ100発ほどお見舞いしたいが、そのときは正直そう思っていた。
そしてついに伊藤六段があらわれる。やさしい方のようだが、常人とは違うオーラを感じる。緊張はピークになり、駒を並べるとき、飛車と角の位置を間違えそうになった。指導対局だが、ハンデなしの平手でお願いした。実力はミスターサタンと超サイヤ人くらいの差がある。それでもハンデなしの勝負で、プロ棋士に勝ちたいのだ。
ついに対局が始まった。序盤、王様を囲って飛車を横に振って攻めるという、いつも通りの戦法で挑む。勢いよく銀をくり出し「ヒャッハー! 歩はいただくぜ!」と思った瞬間、スッと飛車が上がって受けられてしまった。そしてあろうことか銀が詰み、取られてしまったのである。
「ぐぬぬ……」。序盤で駒を損してプロ棋士に勝てる訳がない。これ以上差がつかないよう、必死でついていく。角も取られてしまったが、敵の陣地に飛車を打ち込み龍になった。人生初、プロ棋士への王手だ。
ビシィッ!
指先に稲妻が走り龍が輝いた! ように見えた! しかしガッチリと銀で受けられ、龍はしょんぼりして田舎へ帰っていった。
伊藤六段の的確な攻めに、苦しい展開が続く。「強ええ……。プロ棋士ってこんなに強いのか」。しかも伊藤六段は本気ではないはず。プロの強さをひしひしと肌で感じる。
耐える中、最後の見せ場がやってきた。取られた角を香車で狙った一手。「角取りかあ」伊藤六段が一瞬困ったように見えた。そして見事、角を取り返した。自分で見事と言っちゃうくらい、嬉しかったのだ。
一矢報いたが、ここまで。あっという間に王様を詰まされる。プロ棋士への投了も人生初。「あ、負けました」と森内竜王風の投了となった。およそ30分間の戦いは幕を閉じた。
「負けた……」呆然としていると、伊藤六段が駒をパパっと動かした。「この局面なんだけどね、悪くなかったですよ」。
何が起こったのかと思いきや、対局を振り返る「感想戦」が始まったのだ。テレビでは見たことがあるが、自分が感想戦をしているなんて。驚いたのは伊藤先生(負けたので先生と呼ばせて頂きます)が局面をすべて覚えていて、目の前で一瞬で再現するのだ。感動した。
感想戦で実は銀は詰んでいなかったとか、先生もミスがあったという話しを聞き、とても参考になった。最後に伊藤六段から頂いた言葉が、今も胸に残っている。「平手でよく、奮闘されました」。